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私の仕事

あなたの仕事は何?

はて、妻や子どもに聞かれて、一言で説明できない。それだけ成熟していない、あるいは認知されていないということだろうか?

私は建設コンサルタントというサービス業の仕事をしている。依頼者の要望に応じて、「その土地に安心して生活するため」に地盤や斜面の手当や知恵を提供する土木エンジニアだ。

土砂災害などの斜面の問題に関連することであれば、山や渓流を歩き、地形を見て、地質を見て、樹木を見て、湧水を見て、第三者に危害の及ぶような事象がないか調べる。宅地地盤の問題であれば、宅地の下が軟弱な地盤でないか、液状化しないか、谷を埋めた盛土ではないか、宅地の周りに崖はないか、宅地に付随する擁壁は老朽化していないかといった事象を調べる。そして、問題があれば、対策工法を提案し、安心して住むことができる環境を設計(デザイン)する。妻よ。息子よ。伝わっただろうか……。

安心とは

依頼者の安心を得るのは難しい。人によって「安心」の定義が違うからだ。ある人は、絶対に災害に会いたくないゼロリスクを求める。ある人は、一定の災害の発生というリスクを保有しつつ、そのリスクが発生する確率が低減できれば、良いと考える人もいる。個人的な見解を述べれば、国土の7割が山林を占める日本でゼロリスクを求めるのは難しく、よりベターなリスク低減を行うことが現実的だと思う。私は、依頼者の求める安心の度合いに応じて、複数のメニューを提示することが必要だと思う。ソムリエがお客さんの趣向にあわせたワインを提供するように、宅地、斜面の調査や対策もメニューを提示し、おすすめを提案する。コンサルタントなら当然だろう。

コンサルタントを語るなら

私が所属する太田ジオリサーチは、約30年前に設立された小さな有限会社だ。どこからも資本提供も受けていない。完全に独立した法人である。親会社や関連会社、行政機関とのつながりもない。うちの会社を支えてくれるバックボーンは何もないのだ。それは、恐ろしくもあり、そして、最も自由である。自分が思うこと、考えること、もっとも良いと思うことを依頼者に提案できるのだ。創業者である先代社長の強い思いが継承されている。

コンサルタントを語るなら、しがらみはあってはならない。依頼者の要望に沿ったプランの提案は、完全に独立したコンサルタントにしかできないと思う。社内にも社外にもしがらみだらけの会社には決して真似できない。

お客さんの依頼事例1

さて、少し話をかえる。弊社には、一般のお客さんから、「うちの裏山が崩れるのではないか心配なので、斜面が安全かどうか調べてください。」という依頼が来る。この依頼に応えることができる土木エンジニアは実は少ない。がけ崩れ対策は、公共事業として行われることが多い。公共事業でがけ崩れ対策を行う場合、土木エンジニアは、色々な基準や指針に準じて、調査し、設計し、対策を提案する。私もそうする。ただ、公共事業のかげ崩れ対策の多くは、調査と設計は、セットになって発注される。これはどういうことかというと、「調査を行う=対策を行う。」のである。つまり、「調査を行って、安全性を評価して、その結果、対策を行う必要はありませんでした。」ということはないのだ。対策を行うことありきで調査・設計を行うのである。したがって、依頼者の裏山が崩れるか否か(現在の安定性の評価)は、さほど問題ではない。現在の斜面に何かしらの対策を行って、今よりも安全な状態にします。というのが公共事業で行われるがけ崩れ対策である。

私は、この方法が悪いと言っているのではない。公共事業である以上、対策の効果はある程度横並びでなければならず、この事業だけ特別安全にする。この事業は少しだけ安全にするといったことができないからだ。したがって、今の斜面の状態を基準として、そこから一定の割合程度(現在の1.2倍)、安全になるようにしておきましょうという対策を施す。実に分かりやすく、平等感がある。

しかし、公共事業ではない個人宅裏の斜面の場合はどうだろうか?そこに住む人は対策ありきで相談しない。できれば不要なお金はかけたくない。今の斜面がどれくらい安全なのかあるいは危ないのか、まず評価してほしいと考える。通常の状態では、斜面は崩れていないのだから、何もなければ、その斜面は安全なのだ。ただ、何かしらの外力が働いた場合、例えば、大雨や地震が来たときはどうだろう?どういうシチュエーションになったら、どれくらい崩れる可能性や確率が高まるのかを知りたい。こういった当たり前の疑問に応えられる土木エンジニアは、多くはいない。

お客さんの依頼事例2

お客さんから「うちの家には、石を積んだ壁(石積擁壁という)があります。この壁が倒れないか心配なので診てもらえないでしょうか?」といった依頼がある。「診る」のは、実は難しい。一方、「見る」はとても簡単である。壁に異常がないか「見る=目視」すればよい。ひび割れがないか、石材が飛び出していないか、傾いていないか、そういった変状があれば、その壁は安全ではない。専門家が見なくてもわかる。見た目で不安がある壁は、大丈夫な壁ではない。

では、一見、何も変状がない壁はどうだろう。見た目に変状がないのだから、「OK」となるのが目視点検の限界である。でも、それは「診る」ことはできていない。壁の裏側の情報を取ることができていないからだ。壁の表側だけをみているだけでは片手落ちだと考える。何の問題がなさそうな壁であっても、実は壁の裏側に充填されている土が少しずつ流れ出して、空洞になっている場合や、空洞にはなっていなくても隙間や緩みが発生している場合がある。そういったことは、見た目ではわからない。100歩譲って表側に変状が出ていなければ、今すぐには倒壊する危険性は少ないだろう(地震時は別)。ただ、時限爆弾を抱えているようなもので、いつかは、擁裏の緩みは隙間になり、隙間は空洞になり、空洞になれば、石材のバランスは保てなくなり、倒壊を招く。こういった壁の裏側まで「診る」ことがプロフェッショナルの仕事だと思う。将来的に倒壊する可能性が高い壁なのかどうか、見た目だけではわからない。

自然災害と向き合うために

誤解を恐れずに言うと、私の仕事は、土砂災害や地盤問題といった人の不幸の上に成り立っている。すべての人が安心して暮らしやすい基盤が整備されれば、私の仕事はなくなるだろう。しかし、残念ながら、今のところ私の仕事がなくなる様子はない。森林が7割を占め、狭い国土に共存しあって暮らすには、ある程度、自然災害と付き合っていくしかないからだ。肥沃な扇状地(平地)は、山が崩れて流れてきた土砂がたまってできた土地だ。「山が崩れる」という自然の営みの結果得られた平地で生活しているのだから、「山が崩れる」こと自体は悪いことではない。しかし、山が崩れることによって人の生命や生活や脅かされることは避けなければならない。土砂災害で失われる命がないように、最新の知見を取り入れながら、私が持てる知恵、知識、アイデアを絞り出して、依頼者にメニューを提示し、ベターと思われるプランを提案し、安心な場をデザイン・提供する。依頼者ご本人、子ども、孫など、次世代まで安心して暮らせる場が提供できるなら、価値がある仕事だと思う。私にできることは、「頼んでよかった。」というお言葉をもらえるように、日々精進するしかない。

技師長:川浪 聖志